◆ 今 月 の 一 句 ◆    2004.1月

                                                                                   大 井 恒 行 


一 月 の 川 一 月 の 谷 の 中     飯 田 龍 太        
                         
                                                        
 私が、京都にいた頃のことだ。たぶん二十歳だった。先輩俳人の家を訪ね、持参した雑誌、確か「俳句研究」だったと思うが、この句を示して「この句は名句になりますね」と言った記憶がある。別に理由があったわけではない。そう直感したのである。その後、この句を巡っては少しく毀誉褒貶の論が闘わされたと思う。しかし、この句を当時の俳壇で最初に称揚したのは、前衛俳人といわれた高柳重信であった。
 振り返って、僕はこの句に俳句のある典型を見たのだと思う。この句は、何も言っていない、ただ、一月の川、それも龍太の住む(山梨県境川村)山間の凍りつくような寒さの中の谷の中に流れている川、一月だから淑気も感じられる細い流れであろう。句は、ただそれだけで、どのように感じ、どのように読むかは、読者にまかされている。
 後年、ロラン・バルトは『表徴の帝国』で「俳句はただ指示するだけだ」と述べていたと思うが、まさに指示されただけの風景である。答えは言わないのである。その後、名句かどうかは別にして、有名になったことだけは確かだ。
 思うに龍太は、当時の(昭和30年頃)社会性俳句運動や前衛俳句運動から遠く離れながら、それらの表現方法の成果を伝統派俳人のなかでもっとも果敢に摂取しただろう。その精神の清冽さにおいてそう思う。「春すでに高嶺未婚のつばくらめ」「紺絣春月重く出でしかな」「父母の亡き裏口開いて枯木山」「大寒の一戸もかくれなき故郷」。

 大正9(1920)年山梨県東八代郡生まれ。昭和44年作、『春の道』(1971年刊)所収。




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