今 月 の 一 句 ◆ 2004.4月
大 井 恒 行
生きかはり死にかはりして打つ田かな
村上鬼城
田打ち(打つ田)は、田植えの用意のために、田を耕すこと。「田を打つ」という言葉は東北地方独特の言い方のようだ。「田を返す」と言い、和歌では、「かへすがへす」を導き出す序詞の役目を負っている。例えば恋歌の「忘らるる時しなければ春の田のかへすがへすぞ人は恋しき」紀貫之。
今では、すっかり、田を耕す光景もなくなったが、僕の幼少時、田舎では、まだ牛や馬を使って田を耕していた(それもすぐに、耕運機に取って代わられたのだが)。
掲出句は、先祖代々もくもくと田を耕してきたことを、中七「生きかはり死にかはりして」のフレーズで表している。作者鬼城(きじょう)は18歳で耳を病み、軍人をあきらめ、父の後を継いで代書人になった。貧しさのなかで多くのすぐれた境涯の作品を残したが、「春寒やぶつかり歩く盲犬」の句は、「盲」が差別語だというので、新聞や雑誌では掲載されない(引用句であれば、必ず差し替えを要求される。引用筆者が、差し替えを拒否すれば、掲載拒否にあっている)。鬼城の俳句が、差別意識で作られているわけではないことはもちろん、本人も障害を負っていたことで、句の底に流れる悲しみ、淋しみ、滑稽さへの痛みまで、表現していた。差別語であるというだけの規制で、作品が人の目に触れなくなるというのも残念ではなかろうか。
「冬蜂の死にどころなく歩みけり」「耳聾酒の酔ふほどもなく冷めにけり」「春の夜や灯を囲み居る盲者たち」「残雪やごうごうとして松の風」。
慶応元年〜昭和13年。73歳。江戸生まれ。本名(荘太郎)。『村上鬼城全集・第一巻』1974年刊所収。