◆ 今 月 の 一 句 ◆ 2003.7月
大 井 恒 行
夏 み か ん 酸 つ ぱ し い ま さ ら 純 潔 な ど
鈴 木 し づ 子
製図工であった鈴木しづ子は、「春さむく掌もていたわる頬のこけ」「とほければ木
蓮の道選びけり」を収めた句集『春雷』(昭21年刊)で、戦後俳壇の新星として登場
した。しかし、その後の大胆な自己表白、例えば「欲るこころ手袋の指器に触るる」「
まぐはひのしづかなるあめ居とりまく」などの句によって毀誉褒貶にさらされることと
なる。かつて僕が「俳句空間」誌の編集をしていた頃、黒沢エンタープライズの川村宣
有貴氏が、しづ子の生涯を映画化しようとして、その取材に同行したりした。新発見の
写真はその美貌を証明していたし、さらに、師の松村巨湫に宛てた膨大な未発表句が存
在していた。「ダンサーになろか凍夜の駅間歩く」の句のように、岐阜に3年ばかり住
んでキャンプ内のクラブに出入りしていた。そこで、ケリー・クラッケという黒人兵と
知り合う。当時、岐阜県各務原市には連合軍進駐所在地があった。川村氏の調査による
と、ケリー・クラッケは朝鮮戦争に派兵され、麻薬常習者として佐世保に帰還、アメリ
カに帰国後まもなく死亡している。しづ子にはその母との文通もあったらしい。しかし
、巷間流布されているような「踊り子を経て、赤線地帯の娼婦に沈んで最後はアル中と
なって文字通り廃人となって、自殺した」というような証拠はない。約十年前、仙台に
はしづ子の姉がまだ存命中で、川村氏の手によって、鈴木しづ子未発表句稿として出版
することも了解されていた。しかし、しづ子の行方はいまだに不明である。僕は川村氏
と「コスモスなどやさしく吹けば死ねないよ」というしづ子の句をそのまま書名にして
出版する約束をしていた。未発表句稿はまだ眠ったままである。
大正8年6月9日東京生まれ。本名鎮子、「現代俳句」(昭和26年・12月号)所収