◆ 今 月 の 一 句 ◆ 2003.10月
大 井 恒 行
秋 風 や か か と 大 き く 戦 後 の 主 婦
赤 城 さ か え
昭和23年(1948)作。句集の後書きには「党から、脱落し、敵の前に転向を表明した人間の生活が、どんなに汚辱に充ちたものであるか、私は今でも耳が熱くなる痛苦なしに、そのことを回復することはできない。転向をもたらす汚辱と転向生活が次第にもたらす自己崩壊のみじめさを考えるとき、『今度こそは死ねる』と、私は心に低く呟かざるを得ないのである」としたためた。党とは戦前の共産党。戦後は、世田谷を中心とした地域の民主化運動に力を注ぐとともに「新俳句人連盟」の中央委員として、社会性俳句の旗頭役を担った。
掲句は、赤城さかえが結核で清瀬の国立東京療養所に入所する直前のもの。戦後の混乱と貧困のなかにあっても、なお逞しく生きていこうとしている女性(主婦)を「かかと大きく」と表現した。物悲しい秋風の中にも希望を失っていない心が読み取れる。
私たち三多摩支部の分会がある「ベトレヘムの園」に関係した記述も次のように記されている。「清瀬村ベツレヘム療養園の一角に結核患者を父母に持つ子や孤児を教育する東星学園という学校がある、一日同園幼稚舎の子等に導かれて当所の庭に遊び来て、大いにさわぐ。折しも池は蟇の交尾期であった 五句」。その五句目は「梅満開幸うすき児等背に膝に」。
一部の人を除いて、忘れ去られた感のある俳人だが、句集『浅蜊の唄』を読むと、戦後約十年の日本の状況、それも労働者の側の心情を伺い知ることができる。赤城は「俳句は貴族から奪い返した民衆のうたである」と言い続けた。「咽ぶごと雑木萌えおり多喜二忌以後」。「レーニンの伏字無き書に五月の風」。
明治41年(1908)広島市生まれ。『浅蜊の唄』(1954年)所収。