全労協全国一般東京労働組合三多摩地域支部
   西村昭顧問のページ
2008年12月11日(木)
本当の労働組合運動を見た

戦後労働組合運動が最も高揚した時期は、池田内閣の所得倍増政策の時か、バブル経済の絶頂期であった。組合は次から次へと闘争を組み、それに答えて多くの組合員がたたかいに参加し、賃金はどんどん上がり組合の組織率も上昇した。これは当時資本主義がそれなりに成功していて拡大していた資本家の利益の一部を獲得していたのである。それにともない政治的闘争も一定の成果を挙げた。社会党が最大勢力を得たのもそのころであった。それが今はどうか。ブッシュや小泉の新自由主義政策は完全に行きづまり、格差社会は進展し、リストラの嵐は吹き荒れ、資本主義経済は破綻寸前である。政府の「リストラを条件の救済策」もひどい。本来ならばリストラをしないことを条件に救済すべきなのに、事実はまったく逆である。と同時に大組合の組合活動も停滞し、政府が労働者を見捨てて、資本家だけを救済するのを当然のこととして見ているだけで、なんらの対抗的闘争も組織しないでいる。

そのあおりを受けて、地域労働運動も厳しい局面に直面している。125日に八王子勤労者市民センターの大会、6日に全国一般三多摩支部の大会に出席したが、いずれも困難な状況下底辺の労働者のためにせいいいっぱいの闘争を続けている。いずれも財政的に危機にあり、専従者はほぼ無給に近い状態で活動している。組合専従はボランティアではない、ちゃんと生活を保証しなければならないはずのものなのにである。大衆的なカンパ、国・自治体による補助など、これこそ財政支援が必要である。

しかし、バブル期に高揚したかに見えた大組合の労働運動は資本主義の失敗とともに消えうせ組織率は急降下し、堕落した組合関係者による不祥事すら続出したのに対し、これらの組合はしぶとく原則的なたたかいを続けておりこれからも続けるであろう。国労も総評つぶしの象徴的手段として厳しい攻撃にさらされたが、1047名を軸にたたかいいを続けている。東京の教員の「日の丸・君が代」の強制をはじめとする非民主的教育行政に対するたたかいは多くの市民、市民団体、組合の支援を受けている。困難な時にたたかうのが本当の組合である。資本主義の高揚期にだけたたかったのでは意味がない。確かな展望が見えたとまでは言い切れないが、これらの小さな組合のたたかいのつみ重ねが、民主党を国民の立場に立たせ、政権交代後、労働組合を強化する政策を実現させ、それを基に労働者の職の確保、賃金上昇、社会福祉の充実等によって内需を拡大することができると信じている。

2008年10月13日(月)
東京都の退職者でつくっている都退協では都高協退職者会からの提案を受けて都教育委員会あてに要求書を提出しました。

以下が要求書です。

                                                     2008年11月 日

東京都教育委員会委員長 木村  孟 殿

        教育長  殿

                                           東京都退職者協議会 会長 桜井 操一           東京都の民主的教育行政推進等に関する要請書(案)

  石原都政は3期目以降に入って以降、独善的かつ独裁的色彩をますます強めています。都に働く公務員労働者の生活はおろか、都民の生活や福祉の向上の視点は都政から完全に消え去っています。07年度には、嘱託員制度を廃止し退職後の就労機会を狭め、休息時間を廃止したうえ休憩時間の確保を口実にして拘束時間の延長を行いました。また、勤勉手当への成績率導入範囲の拡大など特別給の差別支給に加えて、現業賃金や教員賃金の大幅削減をもくろんでいます。 都民の生活や福祉の向上の予算は年々大幅に削減され続けています。一方で、不適切な公金支出や破綻した新銀行東京への追加支出、東京オリンピック招致のための浪費などが問題になっています。東京都を退職した私たちだけでなく、都民の多くは物価上昇による生活困窮に配慮をしない反動的な石原都政の退陣を願うようになっています。  都知事の任命した委員による東京都教育委員会の暴走は今、とどまるところを知りません。2003年の1023通達に基づく「日の丸・君が代」の強制は、2006年の歴史的な921判決をいっさい顧慮することなく進められています。教職員に起立斉唱やピアノ伴奏を求める職務命令は今年も連発され良心を貫いた教職員22名があらたに処分され、被処分者は総計延べ410名にも及んでいます。 都教委の暴挙は教育活動全般にわたっています。職員会議での挙手採決を厳禁し、職員会議での議論を封殺し、校長に異論を唱えるものに対しては業績評価CDを容赦なく付け、給料など処遇に差をつけています。学校経営支援センターは授業内容から文化祭の展示に至るまで監視の網を張っています。学校全体に自由にものが言えない空気が蔓延しています。  

  また、「日の丸・君が代」強制に反対して処分を受けた教職員は再雇用の道を閉ざされています。このような東京都の非民主的な教育行政は、日本弁護士連合会が重大な人権侵害があるとして貴教育委員会に対して警告書を出したほか、ILOユネスコなど国際機関からも注視されています。 私たちは東京都の職員として誇りを持って労働に従事してきました。しかし、近年の東京都の行政全般、なかでも教育行政の一連の動きは、教職員からその誇りを日々奪いつつあるのではないかと私たちは一般市民としても憂えざるをえません。

  私たちは東京都の行政全般、わけても教育行政が本来のあるべき姿に立ち戻ることを強く願って止みません。以下の点を昨年に引き続き強く要請します。

1.1023通達を撤回し、同通達に起因するすべての処分を撤回すること。

2.教職員に対する不当なCD評価を撤回すること。

3.教職員に対する不当な処分を撤回し、再雇用拒否を撤回すること。

4.職員会議の採決禁止をした413通知を撤回すること。

5.学校に上意下達を導入する主幹教諭・主任教諭制度を廃止すること。

6.都に働くすべての労働者の勤務時間を短縮すること。

7.現業・教員賃金の切り下げを行わないこと。

              以上

2008年8月4日(月)
1945年8月、中学1年の夏休み〜その2

利口の壁をぶち壊せ!

旅行から帰ってきて、数日で敗戦。この前後の体制の激変、これが私の生き方に強烈な影響を与えたことは間違いない。当時の同級生でその年の一学期のノートと2学期のノートをいまだに持っているのがいて、それを見せてもらって今更ながらそのあまりにも大きい落差を痛感した。

1学期までは万世一系の天皇は現人神であり天皇のために身をささげるのは当然という教育に洗脳されて何の疑問も感じていなかった。〜公的には・・・。しかし子どもたちは子ども同士の会話では「天皇陛下」という言葉はまず使わなかった。みんな「てんちゃん」と言っていたのである。本心では全然尊敬などしてなかったということである。それなのに公的場面〜授業などではなんの批判もなく一路戦争に邁進していた。そして時が来れば身もこころも当然のように予科練・幼年学校や特攻隊に投じることになっていた。その時が来る直前に敗戦。それまでの価値観はガラガラと崩れ、今までとまったく違う価値観による教育が2学期から始まった。「鬼畜米英」は「民主主義の先生」に、アジアを解放するはずだった「日本軍国主義」は侵略のためのものだったとなった。堕落した思想であった「自由主義」は人類の叡智によってもたらされた最高の思想()であると転換してしまった。夏休みを挟んで両方の教育を受けた中学1年は後のほうが優れていると感じたのは当然である。それと同時にひとから吹き込まれていた永遠と思われていた価値観が崩壊したことは大きな衝撃であった。だから「今教わっていることも怪しいかもしれない、自分で考えて判断しないといけないのではないか」ということを無意識のうちに思っていたようである。

軍国主義者から一瞬にして民主主義者に変貌した利口者は多かった。わたしも模範的な軍国少年だったのだから大きなことは言えないが、利口者のようにまた軍国主義者に戻る気はない。

その後、社会主義が一部では金科玉条のようになり、それと結びついた組合活動が一時期発展した。わたしは1956年都立高校の教員になると同時に組合活動こそ社会改革の中心であると考え教研委員、本部委員を積極的に引き受けた。しかし同僚からは変わり者と思われ、組合活動家からは右よりのしょうがないやつだと思われていた。

ソ連の崩壊後、社会主義は一気に人気を失い、今度は未だに社会主義を肯定しているのは時代遅れで利口者のすることではないということになってしまった。そして気がついてみると革新的と思っていた多くの組合や活動家たちはほとんど連合に行ってしまい、私はいつの間にか取り残されているらしい。退職後全労協全国一般に個人で加入したがこれも「折角組合から抜けられたのになんでまた組合に入るの」といわれた。

「何とかの壁」という本が評判のようだがああいう表題の本は読む気がしない。全体主義の温床である権威主義と差別意識が感ぜられるからである。「自分は利口だ」という人が書いて、大勢の「自分は利口だ」という人たちに買わせるということであろう。著者は知的障害者のことをどう考えているのだろうか。「フランシーヌの場合」はどうなんだろう?本当のことを歌う利口でない歌手はいくら上手でも利口な人たちに干されてしまうが、本当のことを言う人たちは何に対する壁なんだろうか?この本もあるいはいいことが書いてあるのかもしれないが読んでいないのでわからない。読まないで表題を批判するのはおかしいという人がいるが、読まないのは私の責任ではない。中味がいいのであればああいう表題をつけた著者と出版社が悪いのである。

今、問題なのはむしろ利口の壁である。クビになる危険を冒して利口でない人たちは君が代斉唱時の不起立を続けているのに教育庁の利口な人たちは「日の丸・君が代」強制を始めとする非民主的教育行政にまったく抵抗しないではないか。その時その時の権力・権威におもねて本当のことを言わない利口者こそ民主主義をだめにする壁を作っている。利口でない人たちがこの壁をぶち壊さなければ、また利口者によって戦前と同じ暗黒の社会が復活してしまう。いや、すでに東京の公立学校では復活してしまっている。

今は「日の丸・君が代」強制反対は流行っていない。拉致被害者支援は流行っているが植民地時代の強制連行糾弾は流行っていない。同じ拉致なのだから、両方合同の調査機関を作るべきなのだが、利口者は決してこういうことは言わない。利口な小泉〜安倍劇場は流行ったが、憲法・教育基本法改悪反対、共謀罪反対は流行らない。今、流行ってることに乗っかっているだけの利口者の壁は厚い。それでも戦前に比べれば流行の大勢の中でそれに流されず自分の考えで発言し行動している人は多いのではないか。そういう人たちと共に自分のできることをやっていくしかないと思っている。

2008年8月4日(月)
1945年8月、中学1年の夏休み〜その1
敗戦直前、マニアの鉄道旅行

夏の思い出は毎年累積されていく一方でそのいくつかは忘却のかなたへ去っていくが、1945年の夏休みの思い出は当然忘れられるものではない。その思い出の一つは勿論その前後の体制の変革を中1が経験したことであるが、もう一つ敗戦直前に私は遊びで旅行をした。それでその1で戦争体験でなく思想性のない遊び体験であるがその旅行のことを、その2で体制の変革をどう感じたかを書くことにする。

国民学校6年で集団疎開。194531日、6年生だけ受験のため帰京。その直後、東京大空襲、深川にいた8人家族の親戚は母親、長女、末っ子の3人が焼死。「もう一緒に死のうよ」と言う母親を振り切って、二人の国民学校生が焼け焦げた防空頭巾で歩いて荏原の私の家に転がり込んできた。8中(現小山台高校)の入試は取りやめ、受験者全員合格となり本当だったら受かるはずのない私も8中生となり鉄研をやり始めた。疎開中、どういうわけか電車に乗れもしないのに鉄道マニアになっていた。当時珍しい共稼ぎでやっと建てたであろう築5年の西洋館も5月には焼失、「ああ燃えちゃうー」と嘆いていた母。長兄は学徒動員で国家権力に拉致されて集合場所の泉岳寺の闇の中に消えていき広島へ。

1週間ぐらいの短い夏休みが来ると、私は断固として福井県武生(現越前市)の母の実家に行くと言い出した。ただ汽車に乗りたいだけで。今から考えると不思議なのだが、父母、次兄とも空襲下の中1の初めての一人旅に何の反対もせず、武生の叔父も歓迎してくれた。逓信省に勤めていた父は軍務公用でしか発行されない武生までの長距離切符を持ってきてくれた。日常が戦争なので遊びに行くのも不思議ではなかったか。母はかなりの額の現金を胴巻きに入れて武生の叔父に持っていけという。帰ってこなくていいということだったかもしれないが、当の本人は何も考えてなくて汽車に乗れることが嬉しいだけだった。

さて朝の東京駅、念願の汽車が入ってきた。その頃は、もう普通列車しか走ってなくて、機関車も急行旅客用のEF53や流線型のEF55でなくて貨物用のEF10だったか、ちょっとがっかりした覚えがある。機関車のすぐ後ろの1両目のスハフ32はグラマンの機銃弾を受けて穴だらけだった。下手なグラマンが機関車を狙ったのが1両目にあたるのだ。さすがに1両目に乗るのはやめて5両目ぐらいにして幸運にも座れた。快調に走っていたのが静岡県にはいるとやたら停まるようになった。車掌が来て前方で鉄橋が艦砲射撃を受けているという。越すに越されぬ大井川も徐行でなんとか越えてやっと掛川まで来たら、グラマンが来襲するので列車の下にもぐり込めと言われ車輪の下に入ったとたん、バリバリバリと機銃掃射の音。車輪のところは床が薄くて貫通するといわれていたのであわてて蓄電池の下のわずかな隙間に。むこうからもぐってきたきれいなお姉さんと鉢合わせ。「ここなら大丈夫ね」と訊かれ、生まれて初めて女に頼られて中1といえども男、自信はなかったが「ええ大丈夫ですよ」と答えるしかない。

艦載機の機銃掃射を受けたのはこの時が2度目であった。学校は空襲が激しくなってからも休みでなかったが、空襲警報となると授業打ち切りだった。みんな今日は空襲がないかなと期待したものだ。その日も空襲警報で授業打ち切りとなり徒歩で帰宅途中、いきなりバリバリバリとやられた。道路わきの他人の家の防空壕に飛び込んだが本当はそれでは遅い。当たらなくて幸いだっただけである。機銃掃射の恐怖は半端ではない。それで「禁じられた遊び」や「ガラスのうさぎ」は2度と見る気がしない。戦争は国家権力がそのときの最高レベルの軍事技術を使った最悪のテロである。テロをやる側も時には齟齬があって、その時のグラマン1機は立会川の川べりを歩いていた母娘を狙って電柱に引っかかって立会川の真ん中に墜落。見物に行ったら完全に屑アルミになっていて操縦士は航空服と髪の毛がふわふわしているだけ。物理で習っていた慣性の法則〜というより戦争のすさまじさ、めちゃくちゃになったエンジンの中に細かくなってめり込んだらしい。

さて話を旅行の方に戻して、グラマンがやっと去った隙に駅から離れた蝉時雨の墓地に避難、のんびりと何時間たったかやっと汽車が出るというので駅に戻った。中1の鉄道マニアはその頃まったく女に興味がなくて、鉢合わせをしたきれいなお姉さんのその後のことは全然記憶にない。沼津で付け替えたこれも貨物用のD51は無事だった。ところが艦砲射撃を受けた天竜川の鉄橋がわたれないので東京に戻るという。列車は戻る途中トンネルの中に艦載機を避けてかなりの時間避難。酸欠と暑さで朦朧とした頭で、「いまさら東京に戻って父が苦労して手に入れてくれた切符を無駄にするなんてとてもできない。富士から身延線、中央本線、篠ノ井線、信越本線、北陸本線経由で武生に向かおう」と考えた。それだと垂涎の的である身延線の2扉クロスシート車モハ93(国有化で富士身延鉄道の私鉄車を国鉄に編入した車両、天井の低いトンネルがあるので国電型より屋根が薄い特徴あるスタイル)に乗れるではないか。その頃電車のクロスシート車は、関西にはモハ43系、流電のモハ52系、近鉄のデ2200など結構あったが、関東では横須賀線のモハ32系以外はほとんどなくてモハ93には前から乗りたくていた。

夜遅くなって富士到着。身延線は身延止まりの最終。とにかく身延へ。幸運にも丁度モハ93だったがクロスシートには座れなかった。でもモハ93に乗れただけで満足だった。これがこの旅行最大の収穫だったらしく後は何に乗ったかトンと思い出せない。

薄暗い運転席の後ろの床にごろごろ、どこかの小父さんが「中1で空襲下の一人旅とはえらい、うちの子供に見習わせたい」とひどく感心していたが、こちらは遊びで旅行している非国民なので気が引けた。母が作ってくれた貴重なおにぎりは夏の暑さで饐えた状態で食べられなかったが、その小父さんはそれをみんな食べてしまった。身延から翌朝の始発に乗って甲府へ、それから乗換え乗換えで直江津から富山止まりの最終に乗って、また富山駅で夜明かし。富山駅前は数日前の空襲で焼け野原だった。食料はもうなく焼け跡に生き残っていた水道栓の水を飲んだだけだった。

十分に3日間、鉄道旅行を満喫させられたが、今の鉄道マニアにこんな旅を2度とさせてはならない。3日目の昼ごろ武生着、福井市は空襲を受けていたが、武生の人たちは小さな町だから空襲はないと高を括っていて、戦時下のようではなくのんびりとした別世界だった。2,3日東京では考えられない白米の食事で過ごした。久しぶりに従弟とも再会、毎日遊び暮らしたが、二人で置時計を分解したら元に戻らず動かなくなってしまい、この夏の記憶の固執となった。帰りの切符がこれまた簡単には手に入らなかったが、学校が気になってどうしても帰るという厄介な甥のために、地元の有力者の叔父は武生の駅長に話をつけて信越周りの大宮までの切符を買ってきてくれた。帰りは一回乗り換えただけですんなりと帰京。空襲や艦砲射撃下、JRならぬ国鉄はとにかく動いていた。大宮から借家のあった阿佐ヶ谷までの乗り越し料金は通常の3倍だったが大して高いと思わなかったような気がする。

旅行から帰って1週間ぐらいで敗戦。「玉音放送」を聴いて「これで特攻隊で死ななくてすむな」と不埒なことを考えていた。
2008年7月3日(木)
蓮池 透さんのまともな発言(拉致被害者蓮池薫さんの兄さん、元拉致被害者の会会長・事務局長)

今月号の「世界」は北朝鮮問題の特集をしているが、その中に、蓮池 透さんの岩波編集部によるインタビュー記事がある。その他多くの識者による記事があるが、ほぼわれわれが言ってきたことと大差はない。蓮池さんの発言もわたしたちにとっては当たり前のことであるが、家族連絡会の重要メンバーである蓮池さんの発言ということで重視したい。というのは今まで、会の人たちは同じ拉致である強制連行問題を一緒にたたかうべきものとはせず、否定、敵視もしくは無視してきている人(最も典型的な例は横田さん夫妻が韓国を訪問した時、韓国国会の特別委員会の委員長が強制連行被害者と交流してほしいと要請したのに、それをにべもなく無視したことである。このことは日本では報道されなかった。)ばかりとされ、会の内部にこのような意見をもつ人がいることを隠しているからである。マスコミもこのような意見を持つ人が会の中にいることをひた隠しにしてきている。やっと「世界」によって知ることができたのだが「世界」はいまや一般の本屋には置いていない。蓮池さんの役職が2007年までなのも(「世界」による)気になる。

 蓮池さんは1、強制連行問題は拉致問題の解決と重大なかかわりがある。北朝鮮側は交渉の時常に強制連行問題が念頭にある。 (このことは日本ではほとんど報道されない。)2、拉致は北朝鮮と日本が戦争状態ないし敵対関係にあったときに発生した。(日本人は戦争した覚えがないというが、北朝鮮は朝鮮戦争のとき明らかに日本と戦争をしている意識であった。日本の基地から米軍は出撃し日本から補給をした。今なお休戦しているに過ぎない。しかも朝鮮特需で朝鮮の犠牲の上に日本は経済復興を遂げた。)3、小泉訪朝後の外交交渉で日本側は何度か北朝鮮をだまして外交の基本である信頼関係が失われてしまった。北朝鮮は日本に対して不信感を抱いている。@金正日が拉致を認めたのに国交回復をしなかった。(金正日が認めれば国交回復をするというメッセージをおくっていたかもしれない。) A一時帰国の拉致被害者がそのまま日本にいついてしまった。 (正式の外交交渉で決まったことを一方的に破棄したのだからこれは外交上の大失態である。安倍は自分が行った反北朝鮮キャンペーンにあおられた世論がおさまらないと考えたのであろう。日本も北朝鮮に不信感を抱いているが、これは反北朝鮮キャンペーンが大きな要因になっている。) B曽我さんの家族を日本に行かしても国交回復しなかった。Cジェンキンスさんを帰しても国交回復しなかった。 (これらも実行されれば国交回復をするというメッセージをおくっていたかもしれない。しかしまたしても世論が納得しそうもなかったため実現しなかった。それよりも安倍は国交回復したくなかったのであろう。) Dめぐみさんの遺骨を勝手に日本側だけで鑑定して別人のものだと発表した。(これも外交の基本にもとる大失態である。日本側だけで鑑定したものを北朝鮮が「はいそうですか」と言うわけがないのは常識である。しかも国際機関から鑑定結果について疑問が出されている。これによって日朝の世論はさらに悪化した。)4、制裁ではなく自分が訪朝するなど人的交流が必要である。などの発言をしている。(  )内は西村

 拉致は民間人に対する攻撃であり許されないと言う論がある。民間人に対する攻撃が許されるものでないことは当たり前である。しかし戦争となれば民間人も容赦なく巻き込まれる。現代になってからでも、原爆、東京大空襲、南京事件、重慶爆撃、ゲルニカ、ユダヤ人拉致虐殺・・・きりがない。これらもすべて許されるものではないが戦争に付随して生じた。戦闘員だって大部分は民間人を徴兵という拉致で集めたものである。民間人も戦闘員の予備軍だから攻撃されるのも当たり前である。戦争にはルールはない。「民間人を攻撃しないこと」などというルールはない。民間人云々よりも戦争や敵対関係、植民地支配をなくさなくてはならない。

 それにしても北朝鮮による拉致は拙劣でひどいものだった。日本人を拉致しても何の利益もない。日本語ぺらぺらの朝鮮人はいくらでもいる。(といって韓国からの拉致が許されるわけではない。)「強制連行に対する単なる報復かも」と言う人もいると蓮池さんも発言している。激しい反北朝鮮キャンペーンに加えて、拉致が日朝関係に与えている悪影響は計り知れない。このために在日朝鮮人がどれだけつらい立場に立たされているか。また北朝鮮のいうことを信じて「拉致なんてないよ」と言った人もそうでない人も北朝鮮に好意的な日本人も厳しい立場に立たされている。こういう時に拉致実行犯の帰国歓迎大集会が行われると言うのも無神経である。

 政府の発言は微妙に変化している。「12人全員が帰ってこなければ国交回復はない。」から「生存者全員が帰ってこなければ国交回復はない。」になった。残念ながらかなりの拉致被害者が死亡しているであろう。日本側も拉致被害者全員が生きているなどと夢みたいなことを言っている場合ではない。たとえば大韓航空機事件の鍵をにぎっている拉致被害者は殺されているかもしれない。北朝鮮は死亡者についてはその真相を、生存者については12人以外も含めてどのような状況にあるかを明らかにし、それから帰国について協議すべきである。もともと国交回復の日本側のメリットのひとつは、拉致問題の解決であった。救う会によれば拉致被害者は100人にもなると言う。これ全部について実態を明らかにするのには相当の時間を要する。国交回復の条件とするならば、「国交回復後も拉致問題の解決に引き続き努力すること」であろう。何人いるかわからない拉致問題の解決を前提条件にすれば、国交回復はしないと言っているに等しい。 北朝鮮は強制連行問題の解決を前提条件にはしていない。強制連行も拉致も時間がたてばますます解決が困難になる。両者同時に取り組むべく日朝両国は6者協議が進展した今こそ全力を尽くすべきである。 「拉致問題の解決なくして国交回復なし。」ではなく「国交回復なくして拉致問題や強制連行問題の解決なし。」が常識である。

2008年6月16日(月)
川柳2

年寄りの 血を搾り取る 鬼自公

 

年寄りは 早く死ねよと 鬼自公

 

その次は ガス室送り するのかな

 

年寄りは、自公去らねば 生きられぬ

 

鬼自公 早く追わねば 殺される

 

鬼自公 千万人で 追い出せる

 

年寄りを いじめて福祉 公明党

 

年寄りを いじめて恥なし 公明党

 

公明は ウルトラ自民党になり

 

金持ちは 安くしている 保険料  

 

おとなしい 貧乏人から 高くとる

 

待っていた これで助かる 四野党

 

年寄りを 救ってくれる 四野党

 

年寄りを 生かしてくれる 四野党

 

人の血が 通っているよ 四野党

 

年寄りの 助けの神だ 四野党

 

 

         前後期高齢者連盟

2008年6月13日(金)
知人の川柳

年寄りの 血を搾り取る 鬼自公

 

年寄りは 早く死ねよと 鬼自公

 

その次は ガス室送り するのかな

 

年寄りは、自公去らねば 生きられぬ

 

鬼自公 早く追わねば 殺される

 

鬼自公 千万人で 追い出せる

 

 

年寄りを いじめて福祉 公明党

 

年寄りを いじめて恥なし 公明党

 

公明は ウルトラ自民党になり

 

 

金持ちは 安くしている 保険料  

 

おとなしい 貧乏人には 高くする

 

 

         前後期高齢者連盟

2008年5月21日(水)
拉致被害者と強制連行被害者は連帯せよ

 政府・マスコミの強制連行隠し 

マスコミはほとんど報道しないが、6者協議では日本も経済協力をする約束をし、日朝2国間協議では「懸案事項」について協議することで合意している。「懸案事項」は拉致問題だとマスコミは報道していて、強制連行については一言も言わないが、「懸案事項」には当前強制連行が含まれている。                   

拉致をめぐる報道をみて極めて異常なのは、同じ拉致である日本が過去に行った強制連行についてほとんど触れないことである。日本では報道しないが、当然朝鮮において強制連行は重大関心事である。2年前はアメリカ公文書館にあった強制連行被害者の一部約40万人の名簿が韓国で公開されて国際的には大ニュースになったが日本ではまったく報道されなかった。強制連行を含む植民地支配に対する清算について特別法が成立している韓国では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時には、「日本が再び覇権主義を貫徹しようとする意図をこれ以上看過するわけには行かない。」「拉致問題を言う前に強制連行問題に誠実に取り組むべきだ。」など日本に厳しく対応していく方針を明らかにし、基本的には現大統領もこれを踏襲しているがこれもほとんど報道されない。南北朝鮮に中国(台湾を含む)フィリピン、オランダ、アメリカ、日本(民間団体)も加わって、強制連行についての国際会議が毎年開かれているがこれらもまったく報道されない。国際的には強制連行問題を抱えて日本は極めて弱い立場にあるのに、日本政府やマスコミは、国民にこういうことは一切知らせない。

やっと日韓首脳会談を経て返還に政府が動き出した徴用朝鮮人(南出身者)の遺骨問題はその数が少なすぎることなどの問題点も含めて、一部マスコミで取り上げられているが、北出身者や、軍人軍属の遺骨についてはほとんど報道されていない。

人権侵害の根源は戦争・植民地支配・敵対関係

経済制裁は両国の関係悪化をもたらし解決が遠のくだけである。石原慎太郎氏とか拉致被害者家族は戦争をやっても拉致被害者を取り返すべきだといっている。共和国との戦争などできるわけもないが、反共和国キャンペーンのなかでこういう議論がまかり通ることが問題である。空想でも戦争状態になってどうやって拉致被害者を助け出すのであろうか。

戦争は国家権力による最大のテロであり、原爆を頂点とする人権侵害そのものである。拉致は植民地支配以後、第二次大戦、冷戦、朝鮮戦争と続いた敵対関係の中で行われた人権侵害である。一方国家総動員法下、植民地からの朝鮮人民の強制連行、徴兵、徴用、性奴隷は、日本の植民地支配の中で行われた人権侵害である。現在の戦争においてもキューバのガンタナモにはアフガンの人たちなどが拉致されている。

戦争は拉致を含めてあらゆる人権侵害を伴う。ひとたび戦争となれば、戦争にはルールはなく人道的な戦争のやり方などない。真珠湾であろうと南京大虐殺であろうと9.11であろうとなんでもありで民間人であろうと容赦はない。諸悪の根源〜戦争・植民地支配・敵対関係の責任と共に、敗者も勝者も戦争による人権侵害の責任が問われなければならない。敵対関係から日朝が友好関係に向かわなければならない今、強制連行も拉致もその責任が厳しく問われるのは当然である。

金正日体制とは交渉をすべきでないという論があるが、相手国の体制と正常化交渉を行うこととは別問題である。共和国の体制の問題は共和国人民の問題である。私たちはひとの国のことを言う暇があったら、日本の現在の人権侵害体制こそ問題にすべきである。

拉致被害者と強制連行被害者とは連帯せよ

拉致被害者やその周辺は強制連行を認めようとしない。拉致被害者が拉致被害の悲惨さを訴えるのは当然であるが、政治的に歪められて、同じ拉致である強制連行の悲惨さを無視しているのである。拉致を非難することは強制連行を非難することにつながらなくてはならない。拉致によって強制連行が免責されるわけでもなく、強制連行があったからと言って拉致が正当化されるものでもないのに、日本は拉致問題を非難し、共和国は強制連行を非難するという図式になっている。実は両方ともうやむやにすることで両国政府の利害が一致している。日本は強制連行に対して誠意ある対応をし、共和国は拉致に対して誠意ある対応をすべきであり、強制連行と拉致は同時にその解決が図られるべきものである。両国民は自国政府に対しそのことを要求することが重要であり、その為にも拉致被害者と強制連行被害者とは連帯しなくてはならない。このままでは数十万人の強制連行被害も、少なくとも数十人には及ぶ拉致被害もいつまでも解明されることはないであろう。

                  

2008年5月7日(水)
減税闘争
野党は定率減税復活等の運動を展開せよ!

 後期高齢者保険制度のあまりのひどさにすっかり忘れられているが、定率減税の廃止もひどい話である。参議院選挙で自公が大敗した大きな理由として、あまりの庶民に対する増税と、金持ち・企業優遇に有権者がやっと自公の反国民的政策に気づいたということがある。明治以後所得の増加と貨幣価値の変動によって税金はずっと上がってきたが、所得が減ったのに税金が跳ね上がったというのは、おそらく日本国民が始めて経験する税制史上の重大事件である。自公の所得減少政策に加える増税法案は小泉のときに成立させたのであるが、実施を2年後にするという姑息な手段に国民はまんまと引っかかって、郵政民営化衆議院選挙で小泉を圧倒的に支持してしまった。その時限爆弾が安倍のときになって実働化し7月参議院選挙直前に今までの数倍の税金の取立てとなって国民を直撃した。さすがに国民も自公に任せておいたからこういうことになったと気づいて投票行動に重大な影響を与えたことは明らかである。社民党などはあまり期待の対象にならず民主党に多くの票が流れたが、それはこの重税を民主党が何とかしてくれるんじゃないかというピントはずれの期待の表れであった。どういうわけか新聞の世論調査では年金ばかりを取り上げてこの点に触れていない。また民主党を始め、野党各党に減税法案を参議院に提出する動きはまったく見られない。

 民主党と各野党が共同して、定率減税、配偶者控除復活等の法案を参議院で成立させ、減税が実現すれば、あるいは衆議院で自公によってこれらが否決されても、次の選挙はまたしても自公の大敗になることは明らかである。なぜ野党がこれに取り組まないのか理解に苦しむ。労働組合も憲法擁護、教育政策の反動化阻止、労働法の改悪実働化阻止のたたかいとともに税制について運動を展開し民主党などに後期高齢者医療制度の廃止とあわせて減税法案をつくらせなければならない。

 なお消費税論議が復活することは必至である。民主党も基本的に憲法改悪、教育の国家統制などとともに消費税率上げに賛成だから先行きはきびしい。私たちは消費税率上げには反対であるが、累進消費税の導入を主張して対抗するのが現実的である。贅沢品には高率の消費税を、生活必需品には消費税をかけない等を主張すれば金持ちを優遇したい自公は困る。土地には消費税がかかっていないが、大規模開発は自然環境を消費するのだからこれにも消費税をかけるべきである。これらの主張で世論を喚起し民主党を国民の立場にたたせなくてはならない。

                                                     
2008年4月4日(金)
後期高齢者医療保険
政府は後期高齢者医療制度のあまりの不評になんと「長寿」保険に名前を変えるという。NHKはお先棒を担いでニュースでこの通称を使っている。こんなに高齢者を愚弄する話はない。「死にそうな者に医療費をつかうことはない、取るものは年金から倍にして天引き」という保険がなんで「寿ぐ(ことほぐ)」なのか。これで次
の選挙は大丈夫と考えているらしい。高齢者もいい名前をつけてくれたと感謝して自公に投票するとしたら、まさに愚弄されてもしかたがない。25年後にはこの保険は黒字とのシュミレーションがある。私は100歳になっているが、100歳まで生きるなら、高い保険料を25年払い続けろということだ。しかしその時は今50歳の人も、こ
のひどい保険に入らなくてはならない。若い人も人事ではない。日本の社会福祉の崩壊を寿ぐのは自公と大企業である。次回選挙では老人も若者もこんな与党を絶対支持してはならない。
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