◆ 今 月 の 一 句 ◆ 2005.9月
大 井 恒 行
炊 き 出 し の 手 が ス ト を 支 え て い る
前 田 一 石
昨年のプロ野球選手会のストでは、久しぶりに労働者にはストライキがあるんだ、という思いがけないぶり返しがあった。がしかし、いまやストライキは、死語のようにさえ思える。それでも、掲句のように、戦後の日本には、確かにストライキが労働者の闘いを象徴した時代があったのだ。1947年2月1日には官公庁労働者によるゼネストが計画された(スローガンは祖国再建!生活権獲得!)。この事態を受けて占領軍マッカーサーは中止命令を出し、翌’48年7月には、公務員の団体交渉権、争議権が剥奪されるに至っている。当時’49年末の労働組合組織率は55.8%達していた。
六十年安保闘争の前後、総資本対総労働の闘いと言われ、去るも地獄、残るも地獄と言われた三井三池炭鉱の労働争議など、労働争議の多くは家族、地域ぐるみの炊き出しによって、泊まり込んでいる組合員や支援者を激励していたのだ。ストライキを皆で支えて闘う光景が全国いたるところにあったに違いない。
炊き出しということではないが、駅頭で組合の組織化や春闘のビラを配っているときに、ごくたまに、たいていは年配の方から、飲み物を渡されたり、カンパをして行く人もいらっやしゃる。そんな時は、まだまだ世の中捨てたものでもない、などと元気が出てくる。
前田一石は中学校を卒業後、集団就職で三井造船に入社し川柳部に入り、労働組合の演劇サークルで、死亡労災をテーマにした公演をやり、会社からばかりでなく、後に労使一体の迫害を受けたようである。そんなとき、川柳を作ることが前田一石の人生の大きな支えになった、と思われる。「闘争がはじまる切りくずしが始まる」「餅を焼く手から火薬はにおわない」「常識をつめると乾かない枕」「つり革にいつも忘れてくる右手」。
1939年大阪市生まれ。セレクション川柳『前田一石集』(’05年9月)所収。