◆ 今 月 の 一 句 ◆ 2005.3月
大 井 恒 行
三 月 や 傷 の ご と く に 海 鮮 し
山 本 左 門
この句の原型は、たぶん寺山修司「ラグビーの頬傷ほてる海みては」が意識されてい
ると思う。無意識だとしても、句作ののちに、そう言えば、寺山修司に近い句があった
かも知れないぐらいは、作者は思ったに違いない。それは、第三句集『星蝕』の他の句
に散見される、例えば「乱歩忌」「クリムトの黄金」「レーニン全集」「ギリシャ悲劇
」「槐多忌」「「寺山忌」「チェホフ忌」「桜桃忌」「龍彦忌」「三島忌」など、挙げ
れば多くは忌日に囲まれてはいるものの、多くの教養を句の背景に感じさせずにはおか
ないからだ。確かに三月という月は何かが生まれるような、そういう予感に包まれる月
である。飯田龍太も「いきいきと三月生る雲の奥」と詠んでいる。その三月を、それも
傷のように「海鮮し」(うみあたらし)とするロマンチシズムはたしかに在る。他の句
群にも、旧仮名遣いのうちの情緒に、あるいは旧仮名遣いの秩序に支配される心地よさ
が在る。それは、林田紀音夫が「新仮名遣いの猥雑さに賭ける」と言った対局に位置す
るものかも知れない。猥雑さにではなく定型の秩序のなかに実現してみせるとでも言う
ように。ともあれ、「雪女チェルノブイリから来しか」「樺美智子忌噴水に雨降りしき
る」「黄落や人も国家も内より滅ぶ」には、諦念すら感じさせて切ないものがある。そ
れは「さへづりのなかさへづりの加わりぬ」「夕桜濡れて戻りし消防車」にも言える。
それでも、人は希望のうちに生きたいと思うし、生きる。
1951年東京生まれ。『星蝕』所載。