◆ 今 月 の 一 句 ◆
大 井 恒 行
う し ろ す が た の し ぐ れ て ゆ く か
種 田 山 頭 火
山頭火は35歳で種田家破産により、妻子と熊本にて額縁店「雅楽多」を開業。妻子を熊本に残したまま、39歳で当時の東京市一ツ橋図書館に臨時雇いとして勤務。42歳の時、その東京で関東大震災に遭い、これを機に熊本に帰った。しかし翌年、熊本市公会堂前の市電に立ちはだかり、停車させ、この時から寺に住み込み、以後出家し、45歳で行乞流転の旅に出る。この句の前書に「昭和6年、熊本に落ち着くべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかった。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。
自嘲」とある。 僕は高校1年のとき、学校帰りに防府駅近くの手入れもされていない小さな公園にあった句碑「雨ふるふるさとははだしであるく」をよく眺めたものだ。まだ、山頭火が今のように有名になる前のことだ。この公園付近、以前は種田家の広大な土地だった。僕は1学期を終えるとすぐに山口市の高校に転校した。だが、妙にこの句碑ことはいまだに鮮明に覚えている。その後40年近い歳月を経て、今はきっと山頭火
めぐりの観光地として整備されているに違いない。
友人の世話で「一草庵」を結んだが、夜の句会で、山頭火庵主を脳溢血で倒れたものを泥酔と思い、隣室に寝かせたまま心臓麻痺で死去、享年59。「分けいつても分け入つても青い山」。1882(明治15)年山口県佐波郡生まれ。『草木塔』所収。