◆ 今 月 の 一 句 ◆    2004.6月

                                                          大 井 恒 行 


蛍 火 や 手 首 ほ そ し と 掴 ま れ し      
                            正 木 ゆ う 子 

 蛍火と言えば、蛍狩。僕の田舎は源氏ホタルの名所だった。川の両岸の草むらは蛍の
火の点滅でぎっしり。だから、東京の公園などで、たまに放流された蛍を見ても、迫力
不足で、こんなものではないといつも思ってしまう。今頃の季節になると、必ず蛍籠に
蛍をいっぱいにするのを楽しみにしていた。しかし、蛍の命は短く、朝には籠の蛍は死
んでいた。蛍見物も、ほぼ一週間くらいが山で、梅雨の大雨が降るとそれで蛍も終わり
だった。かの蛍火は、子供心に「あくがれいづる魂かとぞ」見えていたのである。
 正木ゆう子は、兄・正木浩一の影響で俳句を始めた。浩一氏が亡くなられた時に「た
くさんの百合添えて死を頂戴す」と詠んでいる。その浩一氏は、たしか享年49。亡く
なられる少し前に熊本から上京され、新宿で正木ゆう子と何人かを交えて呑んだ。その
時すでに余命を知って、いっさいの癌治療を拒んでおられたはずであり、のちに死の直
前までホスピスの付近を散歩をされていたと聞いた。実に透明感のある俳句を詠まれて
いた。
 正木ゆう子は若くして俳誌「沖」(主宰・能村登四郎)の輝かしい星だった。その星
はいま、師・能村登四郎を継いで読売俳壇の選者になっている。「サフランや印度の神
は恋多き」「いつの生か鯨でありし寂しかりし」「水の地球すこしはなれて春の月」。

1952年熊本県生まれ。『悠 HARUKA』(1994年刊)所載。




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