◆ 今 月 の 一 句 ◆ 2004.5月
大 井 恒 行
メ ー デ ー が は ら み 来 る も の を 広 場 に 待 つ
榎 本 冬 一 郎
昨今ではメーデーも5月1日とは限らないらしい。今年も4月29日に行ったところ
もあるくらいだ。もともとメーデーそのものは、ヨーロッパを中心にした5月1日に行
われる農村の祭りに端を発している。その後、1886年、アメリカで行われた8時間
労働制を要求する示威運動から、毎年世界各地で行われるようになったという。日本で
は、1920(大9)年、上野公園で行われたのが最初である。
戦後1952(昭27)年、サンフランシスコ条約締結直後のメーデーにおいて、皇
居前で警官隊と衝突したデモ隊に死者2人と多くの負傷者をだした。いわゆる「血のメ
ーデー事件」である。
掲句も、社会性俳句運動が盛んであった54年頃の作品である。作者の冬一郎は、現
職警官、それも警察署長を務めていた。別に「制服を正すメーデーの敵視あつめ」とい
う作品もある。当時は労働組合が組織率50%を越え、激しい反体制運動を繰り広げて
いた。冬一郎は云わば、警備する側からの目で俳句を書いたのだ。当時は、さげすみと
憎悪とで警官隊が罵られた時代であった。その状況下で作句したことが注目を浴びた。
その冬一郎に、未見だが「俳句は庶民詩である」という評論が存在する。後に、当時の
大阪市西端に住んだ沖縄出身の住民を執拗に詠った「尻無河畔」の句群もある。「メー
デー終へし部下を市民の夜へ帰す」「メーデーの手錠やおのれにも冷たし」。
1965(明40)年〜82(昭57)年。75歳。和歌山県田辺市生まれ。本名、
羊三。『榎本冬一郎全句集』(78年)。